何かを始めるとき、それをずっと続けたいと願いながら、でも実際は長続きしないこと、よくあります。続くかどうかを気にして、始めることすら躊躇することもありますよね。結婚生活や職業の選択など生涯に関わることであればあるほど。
飽きっぽい僕の性格にしては奇跡的に続いているのがコーヒーの写真です。カフェノマの活動は10年つづき、その間1,500点以上の写真を投稿し、その様子が2冊の本になりました。なぜ続くのかという問いには数年前にいちおうの答えを出していて、この辺りで一度文章にまとめておこうかなと思った次第です。
よく言われる1万時間の法則。このことに批判や反論があるのは承知をしつつ、それでもひとつのことに費やす時間が1万時間とは凄いことです。限られた一度きりの人生で普通はいくつも選べません。僕自身なにかを始める時は、「これ続くかな」ということをかなり意識して慎重になります。何かを始めることで、何かをやらない選択を同時にしてるという意味においても。
カフェノマの活動を振り返るとき、続いた要因として思い当たることがいくつかあります。代表的なものは次の3つ。
結果論と言えばそれまでなのですが、何かを始めるときは今でもこのことを必ず自問します。ひとつひとつ解説してみます。
短期的なゴール達成にはがんばりも必要です。ただし裏腹にある〈無理を強いる〉ことにはとても抵抗があります。いつの日からか燃え尽きることを極端に避けるようになりました。長く続けるために無理せず、燃え尽きず、頑張り過ぎないよう自分を諭すもうひとりの自分がいつもそばにいます。
カフェノマは、2012年12月、弓庭のインテリアや雑貨のコレクションを僕が写真に収めることから始まります。自宅のものを趣味のカメラで撮り、数日おきにインスタに投稿をするだけのルーティンです。当時は目的や動機もあいまい、頑張ろうとして力むことなく、坦々として静静(しずしず)と、いつのまにかライフワークのようになっていきました。
彼女の趣味にはもうひとつ、コーヒーがありました。さらに、コーヒーと同じかそれ以上に好きなのが家です。客室乗務員だった前職時代、自宅でコーヒーを楽しむことが、フライトのない休日の最大の楽しみだったと言います。そんな彼女の日常を撮り始めたのがカフェノマのはじまりです。
始めた目的や動機が曖昧だったと言いながら、その後に起こり得ることを自覚してなかったわけではありません。2012年に始めた当初から書籍化は目指していました。写真をメインにしたエッセイのような本です。その頃はカフェノマをうまく言語化できなかったのです。自分たちの活動を伝えるには、名刺の代わりになる何かが必要で、それが写真の本だと踏んでいました。3年後の2015年にそのことが叶い、最初の本が出版されます。
クリエイティブ・ディレクターという職業柄、コンテンツに落とし込むやり方は心得ていました。身の回りにあること、毎日続く日常の何かを創作のテーマにすることは最初から決めていました。本を出すことを見込んで、はじめからRAW現像にこだわり、印刷に耐えうる解像度で撮影したのもそのためです。
弓庭は、自宅で楽しむコーヒーのアイデアについて数え切れないほどの引き出しを持っていました。そもそも結婚するまで一人住まいだった彼女のマンションは、当時(今でも)めずらしい完全自由設計が可能な新築物件で、水回りを含む間取りから床の高さまで自由に変更ができたそうです。
趣味の雑貨やインテリアに限らず、家の隅々までコーヒーを楽しむために考えた家。そんなところに彼女はひとりで住んでいました。偶然とはいえ、プロデュース業を生業とする僕にとって、これを放って置く手はありませんでした。アイデアの引き出しはすでに目の前に開かれていたのです。
いままでいろいろなひとの言葉や考えに触れてきました。将棋の羽生さんが言う「才能とは、努力を継続できる力」や、タモリさんの座右の銘「適当」にもたくさん影響をうけました。でも本当は〈それに気づかない〉くらいのほうが良いのではと本音では思っています。続けなければいけないとか、続けたいという気持ちさえ余計で、気づいたら続いていたくらいのほうがきっと長く続くような気がしています。ジョン・レノンの有名な一節がそのことを端的に言い当ててくれています。
Life is what happens to you while you're busy making other plans
人生とは、他の計画を立てるのに夢中になっている間に起こる別の出来事
John Lennon
さらに意訳して、僕はこんなふうに考えます。
自分でもうまく説明できない、まわりにも理解されない何かを何年も続けられたらチャンスだと思う。数年後に誰にもコピーできない何かになってるだろうから。
最後までありがとうございました。